「周りの期待に応えることをやめてあげる」
って聞くと、「えっ」って人ともいると思います。
この記事でも書いたけれど、人間って「期待」とは切り離せない生き物だと思う。
その期待は「どこから」湧き出るモノ?
「期待に応えなきゃ、愛されない」
そう信じて生きてきた人は、決して少なくない。
むしろ、真面目で責任感が強い人ほど、その信念を疑ったことすらないまま、
何年も、何十年も、誰かの期待を背負い続けている。
なぜ、私たちはここまで「期待に応えること」に縛られてしまうのか。
疑問に思ったことありませんか?
それは多くの場合、もともと自分で選んだ信念じゃないからです。
幼い頃、「いい子にしていれば褒められた」。
泣かずに我慢すれば「えらいね」と言われた。
失敗したときだけ、空気が重くなった。
そういう経験の積み重ねの中で、子どもなりに学習していく。
「期待に応えている私は、ここにいていい。応えられない私は、いてはいけない」と。
それは生き延びるための、賢い適応だったと思うんです。
でも大人になった今も、その回路がそのまま動き続けている。
だから、誰かにがっかりされるたびに、不釣り合いなほど怖くなる。
少し距離を置かれただけで、見捨てられたような感覚になる。
「期待に応えられなかった私には価値がない」という感覚が、じわりと浮かび上がってくる。
あなたが弱いんじゃない。その回路が、ただ、古いだけ。
かつての私も、完全にこの古い回路の奴隷でした。
他者評価に厳しい「選挙に出る側」の家で育ち、
親の期待通りに育つ弟だけが褒められる世界。
「期待に応えられない私には価値がない」と思い込んでいたからこそ、他人の顔色ばかりを窺って、相手の期待に応えることでしか自分の居場所を作れないと怯えていたんです。
でも、立ち止まって考えてみてほしい。
「期待に応えることをやめる」ことって、本当にあなたの価値が下がる行為なのか。
むしろ逆だと、私は思っています。
期待に応えることをやめたことで、裏切ったことで、離れていく人がいるとしたら。
それは、好都合なんです。
だってその人は、「あなた」が好きだったわけじゃない。
「期待に応えてくれるあなた」という役割が好きだっただけ。
その行為によってしか、つながっていなかったということ。
人が離れていくのは、一見ネガティブに見える。
でも実はこれは、ものすごくポジティブなことです。
なぜなら、「自分の世界の純度が高まる」から。
期待に応えない、完璧じゃない、歪なあなたのままを「それがあなただよね」と受け入れてくれる人だけが残っていく。
個体としてのあなたを、ちゃんと見ている人だけが。
それって、静かで、とても素敵なことだと思いませんか。
どんなに頑張っても、誰かの期待に応え続けるのが難しいときは、必ずある。
そんなときに「期待に応えることが正義」と握りしめていると、じわじわと自分が苦しくなっていく。
(その元を辿れば、幼少期の環境や防衛本能など、もっと根深い問題が隠されているんだけれどね。)
だから、まずその思い込みを、そっと手放してあげるんです。
今すぐ手放せなくても、「怖い」と思う自分を、まず許してあげるだけでいい。
そのうえで。 誰かの期待に応えることを、自分のためにやめてあげること。
親のためでも、世間のためでもない。自分のため。
自分が幸せになるために、期待に応えることをやめてあげるんです。
手放したあとに何が起きるか、正直に言うと、最初は怖い。
軽くなるより先に、不安が来る。「これでよかったのか」と揺れる夜がある。
長年しがみついていたものを手放すとき、人はみんなそうなる。
でも、その揺らぎの向こう側に、少しずつ見えてくるものがある。
誰かの顔色ではなく、自分の感覚を基準に動いている自分。
「どう思われるか」より「どうしたいか」を先に考えている自分。
それが怖いことではなく、ただ自然なことになっていく、静かな変化。
あなたは今、誰の期待を背負って、どのくらい重たい思いをしていますか。
その重さに、もう少しだけ、正直になってみてほしい。
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