期待することは、悪いことではないと思っている。
詳しいことは、以下の有料記事でも書いている。
『ない』探しをする前に確認してほしいこと──恋愛にも人間関係にも効く、“期待”との付き合い方|梶山紗唯
その期待って、いったい誰のためなのかな、と。
もしかしたら、誰かのためかもしれないけれど。
結局、行きつく先は「自分のため」だったりしませんか?
誰かをコントロールすることで、自分を守っている。
誰かをコントロールすることで、自分の存在を認めている。
例えばなんですが、パートナー間における連絡の頻度に関するお悩み。
もう一方は、連絡をまめにしてほしいけれど、相手はそうではないってとき。
連絡をマメにしてほしい人は、連絡があることで愛されていることを実感したいのかもしれません。だから、連絡のマメさを期待して、相手をコントロールしてしまう。
その「連絡が欲しい」「連絡してくれる」って思っていた期待って本当に必要なのでしょうか。マメに連絡を取ることで、愛されているって安心感って本当に必要なのでしょうか。
ここで、「愛されている安心感より相手の安否確認」ってことなら、毎日の連絡を期待してもいいかなって思ってしまうのですが。それ以外の場合って、本当に必要なのでしょうか。
毎日連絡が来るから愛されているっていう根拠はどこから来るのでしょう。
毎日連絡が来ないから愛されていないっていう根拠はどこからくるのでしょう。
こういった人間関係全般というか人生における多くの問題って、根拠に使われることってあまり出ていないんですよね。つまり、誰かの正解が誰かの不正解でもあるんです。
エビデンスとなる根拠が求められるのって学問というか科学というか、日常生活で言ったらこれといって挙げられることってないと思うんです。
そして、その根拠となるものがないなら、期待に応えること、期待することって本当に必要なのかなって思ったりするんです。
よく親が子供が期待通りにならないからと、親の不満をぶちまけて期待通りに生きてくれない・動いてくれないって怒鳴り散らしたりすることがあると思うのですが、それって本当に必要なことなのかなって思うんです。
確かにいい大学に行くことが正解と思いがちで、親の期待に応えるのが正解と思うのが世間一般の常識なのかもしれません。
でも、その期待って親自身の劣等感から来るものが大きいのかなって思うんです。
私も一人子供がいるので、いい大学に行ってよりいい人生を歩んでほしいって思う方々の気持ちは、ほんの少しだけ共感はできるのです。
ただ、その劣等感や隠されていた自尊心などを子どもに押し付けて、子どもが期待通りにならないからって怒鳴り散らしたりするのも違うのかなって思ったり。
それと同じって言ったら大げさなんですが、誰かに期待をしなくても、あなたはあなた自身のままで価値があるのだし、その期待をどこかにポイっと捨てて好きなことをしていけば少しは楽になるのかなって思ったこの頃です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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