傷つくことが怖いのは当たり前
どうしても、傷つくことは「いけないこと」だと思いがちですよね。
幼少期に大人から怒鳴り散らされて育った人にとって、
それは単なる恐怖ではなく、魂に刻まれたトラウマ。
いつしか「傷つかないための正解」を探すのが、生きる目的になってしまう。
占い依存やスピリチュアル依存になってしまう根っこにあるのも、
実は「これ以上傷つきたくない」「ただ、安心したい」という気持ちだったりするんです。
誰かに否定されるのが怖い。後ろ指を指されるのが怖い。
そうして周りの顔色を窺い、「自分の正解」を不正解にし続けて、
誰かの反応の中にだけ答えを探そうとする。
そうなると、自分で何かを決めることが、
怖くなってしまうのは当たり前のことなんです。
実は、私もずっとそうでした。
誰かの顔色を窺い、誰が権力を握っているかとか余計なことばかり考えて、
自分の本音を一番後回しにしてきました。
でも、気づいたんです。
「傷つくのを恐れること」は、決して悪いことじゃない。
むしろそれは、「私はこういう事象や人物は嫌だ」と知るための、
大切なサインなんだ、と。
自分の本音に従うからこそ、「心地いい・嫌だ」を感じることができる。
その感覚を汲み取って、自分で意図を選び直すからこそ、
人は変わっていけるんだと思います。
私は、家族にたくさん傷つけられてきました。
人格否定は当たり前。兄弟と比較され、えこひいきされ、
「ここは敵しかいない場所だ」と感じて生きてきました。
今ならわかります。
あの頃の私は、家族を「敵」に設定することで、自分を守ろうとしていたのだと。
だからこそ、たとえ一時的に痛みを伴っても、周りからの評価が落ちても——
「私を大切に扱わない場所」を降りる、という選択が必要なときがある。
自分を偽って「家族ごっこ」を続けても、その先に自分の幸せはありません。
私がそれに気づくまで、30年以上かかりました。
傷つくことを恐れて、金メッキとハリボテで外面を飾り、
それで自己肯定感をごまかして生きる人とは、もう住む世界が合わないと気づきました。
私のことを誰かが悪く言っても、私の価値は下がらない。
もし、あなたの周りにも傷つけてくる人がいて、離れることを決めたとしたら——
その人たちはきっと、あなたの悪口を言うでしょう。
でも、それであなたの価値は下がりません。
むしろ、「あいつが悪い」「私は悪くない」「私は被害者」
と責任を転嫁し続ける人たちの方が、その価値を自ら削り落としている気がします。
そんな世界から、そろそろ出てみませんか?
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