夢を捨てるのが大人なら 大人になんかなりたくない
ZARD「愛が見えない」(1995年)/作曲:小澤正澄・作詞:坂井泉水・編曲:葉山たけし
ZARDの楽曲に、この一節があります。
私の解釈では、この歌詞は「若い頃、遊びも恋も楽しみつつ、それなりに充実しているけれど、恋人との関係がうまくいかない女性」を描いているように感じます。
彼女の夢は、「恋人と幸せな家庭を築くこと」だったかもしれません。
あるいは「会社で成果を出して、周囲に頼られる上司になること」だったのかもしれません。
けれど、その両方を同時に叶えるのは難しいと感じた。
だからこそ——「夢を捨てるのが大人なら、大人になんかなりたくない」と呟いたのでしょう。
中学から大学にかけて多感な時期にZARDを聴いていた私は、この歌詞に強く共感しました。
「もし大人になることが夢を捨てることなら、大人になんかなりたくない」
そう思いながら、ずっと夢を見ることにしがみついていました。
「夢見る子どものままでもいいじゃない」
「夢を見ることは、そんなに悪いこと?」
当時の私は、そう心の中で問いかけていました。
実際、私の夢は中学時代から変わっていません。
内容は秘密にしますが、根っこの部分はいまも同じ。
私はずっと「見えない世界」に惹かれ、それを追いかけてきました。
もちろん、現実を直視することも必要です。
でも、現実を見ているからこそ、新しい夢が生まれるのではないでしょうか。
だったら、ずっと夢を見続けてもいい。いまの私は、そう思います。
いまの時代は、昔よりも学び直しに寛容です。
私の大学時代にも、二回り以上年上の方が同じキャンパスで学んでいました。
大人になると「やりたいこと」と「現実」との間にギャップが生まれます。
ときには現実に打ちのめされて、「やっぱり無理かも」「この夢は忘れよう」と諦めそうになることもあります。
けれど私は、「現実を見つつ夢を見る」ことは、決して悪いことじゃないと思うんです。
誰にでも平等に与えられた24時間。
もちろん、大病をして自由がきかず「平等なんて嘘だ」と思う瞬間もあります。
私自身もそう感じたことがあります。
でも、だからこそ「こうしたい」「これを叶えたい」という夢が生まれる。
夢は、人を動かす原動力です。
「またLIVEに行きたい」「落ち着いたら旅行に行きたい」
——そんな小さな夢が、私を日々支えてきました。
振り返ると、2024年春に描いていた夢のいくつかはすでに叶っています。
夢は「大人になったら捨てるもの」ではなく、
「夢を叶えるために大人になる」ものなのだと思います。
そしてその根っこには、やっぱり「愛」がある。
忙しなく過ぎていく毎日の中で愛を見失うこともあるけれど、
愛があるから人は夢を見て、夢を見られるからこそ前に進めるのだと思うのです。
だからこそ、坂井泉水さんの歌詞はいつの時代でも心に響きます。
時に寄り添い、時に現実を嘆きながらも、必ず優しく励ましてくれる。
そのメッセージが、ZARDの楽曲を永遠に愛されるものにしているのでしょう。
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