「感謝する」に縛られない

 





最近、こんな記事を書いた。

「感謝する」ことの落とし穴


感謝しなければ、に縛られて「心地よさ」を感じられない。

それが時として、感謝することに対する落とし穴にはまってしまうよね
って意味で記事にしてみたんです。

よく「感謝をしましょう」「感謝ワークをしましょう」
っているけれど、その先にあるのはただ一つなんです。

自分の心地よさを感じるため、なんですね。

今日も衣食住がある、なんて幸せなんだろう、ありがとう。
今日も人に優しくされた、なんて幸せなんだろう、ありがとう。

これが、自分が不快になったことに対する感謝だと、
「私はこの不快な事象ではなくて、心地よい方を選べる」と感じたことに対して、
感謝をするために、嫌なことも学びであって感謝しましょうなのかなって思っていて。

だったら、だよ。
すでにあるとするなれば、「受け取っています」でもいいんじゃない??
って疑問に思って、実はこっそりと実験中なんですね。受け取っていますワークの。

我ながらネーミングセンスが皆無だと思うのですが、
受け取っていますワーク以外の名称が思い浮かばないんだもの仕方ない。

どんな変化があったのかは、まだ実験しているので仮説段階なんですが。
感謝ワークをしている頃よりは、ワークをするのが楽になった気がします。

ちなみに、時空間関係なく「受け取っている」と感じるものを
ただひたすら書き続けていくだけなんですね。個数制限もなしにしています。


私は、A5サイズのノートに1ページ埋まるまで書いています。
もちろん、書かない日もあるけれど。無理のない範囲で書いています。

自分に変化があったかは、正直この短期間ではわからない。

でも、「感謝しましょう」っていう縛りからは解放されて、
「これを受け取る」って決めたものを書いているだけだから楽にはなった。


感謝ワークも「これを受け取ったから、感謝する」って点では、同じようなものだよ思うしね。っていう感想です。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。