【この記事は以前noteに公開したものを再公開しています】
きっと、「お金でしか満たされない」愛しか体験してないから、「浪費をしてしまうのかも」と気がついてしまった。
というのも、「お金だけ」でしか愛されたことがないことに気がついてしまったのだ。
私がやることは「全否定」なのに、弟のことは「肯定」していたことが多いように思える。
弟は、私と違って交友関係も広く、人当たりもいい。児童会長・生徒会長などをやっていたし、頭も良く、人当たりも良かった。
そんな弟とは、私は真逆だったこともあるだろう。
ボランティアの活動も全否定、1人でLIVEに行くのも全否定していた。
精神的DVも当たり前だったように思う。
「こんな子と付き合うな」とか「なんで勉強できないの」は当たり前のように言われた。
私より後に剣道を始めた同級生が初段を取ったのに、私が不合格だった時に言われたことがある。
「なんで、あの子は合格したのに長くやってるお前は不合格なの」と言われた。
常に弟と比較されていた。
母親は、息子を愛して「小さな恋人」のように扱う、とどこかで聞いたことある。まさに、それだっただろう。
「お金さえあれば愛情」だと教え込まれたからこそ、「お金を遣うことでしか心が満たされない」ってことに最近気がついてしまった。
常に周りの様子を伺いながら、生きてきたのだろう。
本当は「愛」も「豊かさ」も根っこは同じで、「愛」と「感謝」で循環しているのにね。
私立大の学費も、交通費も、なんなら生命保険の保険料も支払ってくれたことには感謝はしている。
しかし、本来なら「金銭面」の支援をすることだけが「愛」ではないはずなのだ。
子どものをことを応援し、ダメなことは叱りながら、子どもと一緒に学びを深めることが「成長」なのではないのか。
子どもの不幸を喜ばず、ほんの少し寄り添う姿勢を見せるのが親の役目ではないのか。
若くして、希少がんになった娘に、満面の笑みで「厄除けに行ったの?」と聞くのが親の役目なのか。
私の人生やることを全て否定してきた母親に、入院前日に言われたのが、先ほどの言葉だが今でもフラッシュバックしてくる。
親友に打ち明けて、親友の母からとても心配されてたのを思うと大違いだな、と思った。
育児にも、人生にも、正解なんてない。
でも、一つだけ私は正解だと感じることがある。
それは、「愛情って金銭面の支援をすることだけじゃない」ということだ。
子どもの長所を認め、短所は改善しつつ、いいところを伸ばすことが、親の役目なのではないか。
そういうことが出来ぬまま、心理学の道に進んだからこそ、逆に苦しんでいるのかも、といまは思っています。
でもね、ここまで読んでくれた貴方に言いたい。
どれだけ過去に傷ついても、奇跡って起こせるの。
どれだけ過去に傷ついても、未来は変えられるの。
親との関係を変えなくてもいい。
自分が親と仲良くなりたいなら、変わるように見方や未来を決めたらいい。
ただ、私は変えたくないから変えないだけなのだ。
私の知らないところで、孫には会わせてもらえる喜びを感じていたらいい。
普通なら、「もう2度と孫に会わせない」と言われてもいいくらいのことをしていたのだから。
世間一般の「毒親」と言われる人に比べたら、幸せな部類だと感じていたらいい。
きっと、精神的DVをすれば支配下におけるから的なのもあるのだと思うけどね。そういった支配よりも、私のことを応援してくれて、少し遠くから見守ってくれる支配の方が嬉しかったなー、なんて思いながら。
なーんてことをふと思い出したので書いてみました。
私が、こんな過去だからこそ、誰かを助けたいと思うのです。
私のモットーが「クライアントの寄り添い・否定をしない」のも、そういった経験があるからです。
もちろん、「優柔不断すぎるのも良くないよ」とか、「そんなに人を傷つける人といて楽しい」といったことは言うかもしれません。
でも、基本的に「共感ベース」でいたいの。
ビルの隙間や河原で2人座ってボーっとしながら、お話ししている感覚でいたいんです。
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