最近また、"自分軸に戻らなきゃ"って、自分を追い込んでしまった夜はありませんか。
SNSでも、ご相談の場でも、よく見かける言葉があります。
SNSでも、ご相談の場でも、よく見かける言葉があります。
「他人軸じゃなくて、自分軸になりましょう」
「have to を手放して、want to を選びましょう」
たしかに、その通りなんですよね。
自分の中心に戻るというのは、心の安心度も現実の動きも変わる、すごく本質的なアプローチだと思っています。
でもね、最近ちょっと気になることがあって。
その言葉を"守ろうとしすぎて"、逆に苦しくなっていませんか。
「自分軸に戻らなきゃ」
「もっとwant toで動かなきゃ」
「こんなの私らしくない。ダメだ」
……気づけば、誰かに課せられたルールの代わりに、
……気づけば、誰かに課せられたルールの代わりに、
"自分軸"という新しいルールで自分を縛っていた。そんな経験、ありませんか。
本来、自分軸って、自分を大切にするためにあるものなのに、
それを守れないことでまた傷つく。
それって、何かおかしくないかな、って思うんです。
じゃあ、どうすればいいのか。
私がたどり着いたのは、とてもシンプルなことでした。
私がたどり着いたのは、とてもシンプルなことでした。
"戻らなきゃ"を、手放す。
「いまは他人軸っぽいな、と気づく」
それだけで、もう十分すぎるくらい十分。
「気づけている」という事実は、あなたがすでに少し外から自分を見られている、ということ。
「気づけている」という事実は、あなたがすでに少し外から自分を見られている、ということ。
それってもう、自分軸の入口に立っているということなんです。
自分軸って、"常にブレない完璧な私"になることじゃない。
ブレても、揺らいでも、流されても、 「あ、また流れてた」と気づいて、
ブレても、揺らいでも、流されても、 「あ、また流れてた」と気づいて、
戻る場所をうっすら覚えていること。
そのスピードが遅くても。すぐに戻れなくても。
むしろ、すぐ戻れないことに焦らなくていい。
「いまは他人軸だなあ。でも、まあいいか。
そのうち戻りたくなったら、戻ろ」
そのくらいの余白が、あっていい。
というか、その余白がないと、"自分軸"って本来の力を発揮しないんですよね。
そのくらいの余白が、あっていい。
というか、その余白がないと、"自分軸"って本来の力を発揮しないんですよね。
思えば、長年"他人の期待"に応えながら生きてきた人って、
自分のために頑張るとき、なぜかめちゃくちゃ厳しくなる。
他人には優しくできるのに、自分には容赦ない。
それは、愛情の向け方を"外側"だけで練習してきたから。
それは、愛情の向け方を"外側"だけで練習してきたから。
自分への優しさが、まだちょっと不慣れなだけ。
だから、完璧にやろうとしなくていい。
"自分軸でいられなかった私"を責めなくていい。
大切なのは、"戻らなきゃいけない私"ではなく、 "戻りたいときに戻れる私"。
そのゆるさのほうが、信じられないくらい、現実が動いていく。
大切なのは、"戻らなきゃいけない私"ではなく、 "戻りたいときに戻れる私"。
そのゆるさのほうが、信じられないくらい、現実が動いていく。
ブレている自分に気づけた、その瞬間。
もうそこが、自分軸の始まりだから。
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