家族でも、他人です。

 

「そんなの当たり前でしょ」と感じる人もいるかもしれません。

 でも日本では、家族なんだから分かり合えるはずという前提が、
いまも根強く残っている気がします。

現代であれば、殴る・蹴る・暴言・家からの追い出しは、明確にDVとして扱われます。
 けれど私たちが子どもだった頃は──何でもアリでした。

私自身、家から追い出されることは日常茶飯事でした。
 「娘のことは何でもコントロールして当然」という母の考えのもと、
日記もメールも無断で読まれていました。

「この家の子とは付き合わないで」と言われたこともあります。

いま振り返ると、私が母をあまり必要とせず、
ほとんど話さなかったことも一因かもしれません。 

でも、否定ばかりして日記を勝手に開く人に、話したいと思えるでしょうか。

「家族だから全部知りたい」という気持ちは、わからなくもありません。 
それでも、大人同士でも他人を完全に理解するのは難しい。
それを子どもに求めるのは、無理があると思うのです。

家庭ごとに常識が違うように、考え方も違って当然です。 
「よそはよそ、うちはうち」と言いながら、
子どものすべてを把握しコントロールしようとするのは、矛盾しています。

もちろん、危険を防ぐための見守りは必要です。 
でも、そのためにプライバシーを踏み越える必要があるでしょうか。

風邪のときアイスを食べる家もあれば、ゼリーの家もある。 
ポカリの家もあれば、OS-1の家もある。 「常識」は、家庭ごとに違うのです。

だから、家族であっても他人。考え方が違うのは当たり前。
 「家族だから」と踏み込みすぎると、関係が壊れることもある。

私は、母や親戚との関係は壊れるべくして壊れたと思っています。

 もしかしたら母は、壊すことでしか距離を取れなかったのかもしれません。

「家族仲が悪くても、もうどうでもいい」という人もいれば、
「仲直りしたい」という人もいる。「親が可哀想」と言う人もいます。
それぞれの物差しが違うだけで、みんな"他人"です。

自信がなくなると、つい他人の意見を求めたくなる。 
でも、その人の背景も価値観も、自分とは違う。 
「他人は他人」とわかっているだけで、少し楽に生きられる気がします。

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