今更なんだけれど実写「シンデレラ」を観た話
本当に今更なんですが、
実写版「シンデレラ」を観ました。
継母の執着こわい。
っていうかディズニー社よ、こんな解釈で実写化して大丈夫だったのか
っていうのが非ディズニーオタクの感想です。女って怖い。
でもさ、継母の「お金」「権力」などに執着するのも
人間のエゴだし、仕方ないかなって思うところではある。
私も、そんな時期があった気もするし。
自分自身が「権力」がある家庭で育ったからこそ、
その権力は幸せなのか、執着するものなのかとか、いろいろと考えてしまう。
考えてみたら、アニメ版・実写版でも
「絶対合わないガラスの靴」をみんなが試している。
それってよく考えたら、「お金」「権力」があるのが正義である
って刷り込まれているからこそ「欲しい」と望んでいるのかな、と。
実際のところ「お金」は私たちを幸せにはできるけれど、
愛ってお金では買えないものなんだよね。
お金をかけることも愛ではあるけれど、
それって「お金をかけたい」って思うからこそ行動に移せるんだよね。
「大切にしたい」「大切にされたい」って望むからこそ、
行動・言動に出てくるんだよね。
ラグジュアリー・ハイクラスのものが良いって訳ではないけれど、
「快適な空間を買う」「快適な時間を買う」ことが大切にするってことなのかな、と。
継母や娘たちが、派手に着飾っていたり芸術のセンスがないのも
外側だけ着飾って内側が醜いなのかな、ってナレーションでも言っているか。
とはいうものの、私自身も言われてきました。
「ブス」「デブ」は当然のように言われていたし、
それ以外の人格否定も毎日のように言われていました。
「なんでみんなから愛されるような振る舞いができないの」
「なんでみんなと同じように普通の振る舞いができないの」
って罵られていました。常にヒステリックでした。
そういう割には、周りから「そっくり」と言われるたびに
「そうでしょ♡」と満面の笑みで返していました。
いま思うと、
継母のように外側だけ着飾っていたらいいって思っていたのかもしれません。
シンデレラこそ舞踏会では、魔法の力を借りたものの、
森で出会った時とガラスの靴で探し出されるところでは
「ありのままの自分」で会っているんですよね。
王子も、やんわりぼかしてはいるものの
「ありのままの自分」なんですよね。
そう考えると、
変に取り繕わず、ありのままで過ごせる空間・相手こそが
自分の進化・成長にもつながるし、ラクに過ごせる相手なのかなって。
最初でこそ、釣り合わないって思っていた二人だけれど
規則・規範なんか取っ払っていましたよね。
結局、ああいった制限も私たちの思い込みであって
意外と周りは気にしていないのかもしれません。
「元彼には新しい彼女がいるから」
「なかなか離婚してくれない」
「これができたら」
などなど、私たちって色んな制限・設定をしてしまいます。
でも、それって本当なんですか?
「そうなる」って決めるだけなんです。
どれだけ時間が掛かるかも分かりません。
でも、「そうなる」と決めたら「そうなる」んです。
それが、宇宙の摂理であり、脳の仕組みなんです。
どんな制限があっても、私は叶えると決めるだけ。
実写版・アニメ版に共通しているのは、
「すでにそうなることを信じ続ける」ことだと思うんです。
そこに、実写版は勇気と優しさと教えがあるのだけれども。
それって、ありのままの自分をさらけ出す勇気とその望みを受け入れる優しさなのかなって。
どんな望みも共通して言えることだと思うんです。
周りに左右されず信じ続けること、叶える勇気を持つこと、
そこに望みを受け入れることを許すことが自分の優しさになるのかなって。
なーんてことを思いました。
