「当たり前」という奇跡の輪郭。――絶望の中で、私は自分の人生を奪い返した
「今日の昼食、好きなものを満足に食べることができましたか?」
そう聞かれて、大半の人は「何を当たり前のことを」と笑うかもしれません。
けれど、その無意識の幸福の中にこそ、人生の本質が詰まっているのだと、
今の私は切実に感じています。
私は当時、ステージ4aの舌がんで入院していました。
術後2ヶ月での再発。抗がん剤と放射線治療のフルコース。
副作用で私の口内は、まるで絶え間なく大火傷を負わされているような激痛に支配されていました。
1本7000円もする粘膜保護剤を使わなければ、水すら飲めない。
栄養は、左腕に埋め込んだCVポートから流し込まれる点滴。
大好きだったピザや唐揚げ、ポテトチップス。それらを「食べたい」という欲求さえ、激痛への恐怖によってかき消されていました。
けれど、身体の痛み以上に私を追い詰めたものがあります。
それは、本来「癒し」の場であるはずの環境で投げかけられた、
看護師からのあまりにも不適切な言葉でした。
身体が極限状態にあり、自分自身の主導権を完全に失っていたあの時。
最も安全であるべき場所で受けた言葉の暴力は、私の尊厳を深く傷つけ、生きる意欲を根底から削ぎ落としました。
「人は、認識していないだけで、本当はそこにある幸福を見落としている」
脳科学的に見れば、人間の脳は「ないもの」にフォーカスするようにできています。
当時の私は、失われた食欲と、理不尽な言葉によって奪われた心の平穏ばかりに目を奪われ、自分の人生が「予告編」のまま終わってしまうのではないかと怯えていました。
けれど、今の私は知っています。
あの絶望的な痛みも、独りで抱えて言葉に詰まった夜も、
すべては私の人生の「本編」を自分自身で選び取るための伏線だったのだと。
もし今、あなたが誰かの心ない言葉に誇りを削られ、自分の現在地を見失っているのなら。
まずは、その「苦しい」という感情を否定せずに受け取ってください。
それは、あなたが自分自身を本気で大切にしたいと願っている、魂からのサインです。
今の私なら、あの時の自分に、そして今を生きるあなたにこう伝えます。
「大丈夫。あなたはもう十分、よくやっている」
大きな達成感はなくていい。 ただ、今日の一口を慈しむこと。
自分を縛る「こうあるべき」というブレーキを、一つずつ外していくこと。
その静かな積み重ねの先に、現実は必ず後から追いついてきます。
私はこれからも、一度立ち止まり、それでも自分の人生を引き受けた側から、言葉を差し出し続けていこうと思います。
一人ひとりが、誰の許可もいらず、自分の人生にOKを出せるようになるために。
(過去に投稿したものを推敲して再投稿しております。)
